初めまして
この度は数あるホームページの中、ご覧になっていただきありがとうございます。
髪結いといわれた祖母から三代目、祖母から母、母から私へとバトンを引き継ぎ、花嫁さまを創らせて頂き美容師歴34年となる梶田みわこと申します。
美容師になる事になった原点である私の母、杠ユリコを少しご紹介します。
6人兄妹の長女、祖母の助手をしながら花嫁さまの髪結いや着付けを見習い、美容室と独身時代からたくさんの花嫁さま創り、杠(ゆずりは)家に嫁いでから美容室を独立開業して日々サロンの業務と婚礼をしていていました。
美容室が今ほど多くない時代、お盆もお正月もなく、朝の7時くらいからお客様は店の前に並んであり早朝から深夜まで毎日慌ただしく仕事をしている記憶しかありません。
私には9人の叔母がいますが、その中で美容師は6人、私の4人兄妹もみんな美容師、美容一家の中で育つ中、手が足りない現実を目の当たりにしていた私たち兄弟には他の仕事の選択肢はありませんでした。
多忙な母は子育てをするどころか支店が増えるたびにますます忙しく、家事も出来ないので
私の小学校時代は住み込みのお手伝いさんがいました。
中学になると家計を任され買い物から家計簿付け、食事の用意や父や兄のお弁当作りなどいずれ美容の道を歩む者として家事の一切を下積みの仕事として任されていました。美容室に来られるパーマやカラーの日々のお客様と貸衣装もしていたので花嫁さまの衣装合わせやお一人お一人に合わせて髪を結ったりと夜中まで怒涛のような多忙な毎日で、技術は見習い、手習いと言って子供の時から助手をさせていました。小学校高学年になると年中着物で仕事をする母の仕事の合間に着付けのレッスンをしたり超ロングの母の髪でブラッシングやシャンプーの練習をすることもあり、早く私たちが一人前になるのを心待ちにしていたようです。
私は商業高校入学と同時に美容学校の通信科に入学、高校卒業前には美容学校を卒業し、インターン修行。19歳で美容師免許取得、母と兄妹と共に美容の仕事に携わり4店舗に増えた美容室の1スタッフとして、主に婚礼業務をしてきました。
京都で年に数回の婚礼衣装の展示会に行き、ドレスや打掛などの衣装の見立てや仕入れ、花嫁さまのコーデイネート、土日は結婚式に出かけ、平日は次の婚礼の衣装の準備や手配。
結婚を機に札幌に行きますが、札幌グランドホテルの婚礼部でお仕事をさせていただき、実家でしていた仕事と変わらないお手伝いをさせて頂きました。
1日20組の結婚式があったり、留袖着付け100人超えという日もあり、知らない土地でも楽しくやりがいがありました。
夫の転勤を機に佐賀に戻りまた実家の仕事を手伝いました。
80歳を超えた母は今でも現役で美容の仕事をしています。「うちには100年近い美容の歴史がある」と話す母は仕事をしている時が1番楽しいらしく、じっとしてることが苦手でいつも忙しくしています。
母の元気の源は生涯現役の美容にありです。
今の私の原点である母の仕事に対する姿勢や考え方、結婚式という大事な儀式のお手伝いをさせていただいているという責任。
美容という仕事によって私は生かされているということを年を重ねるごとに感じています。
時代は移り変わって、結婚式のスタイルやヘアメイクが変化しても長年受け継がれてきた日本の文化や伝統を美容師の立場から少しでも次の世代への橋渡しが出来たらと思います。
着物の良さを再発見し、タンスの肥やしになっている着物の再利用のお手伝いをしたり、
ご自分で着物がさらっと着れる女性を増やしたりときもの文化を絶やさないお手伝いができれば嬉しい限りです。
私の美容のルーツである祖母から始まった<日本の花嫁さま>。
ご自分の髪で花嫁様の髪型、『文金高島田』を結い、真っ白な『白無垢』に包まれて、生まれ育ったご実家から結婚式に行かれるスタイルに戻すこと。
ちょっと昔の佐賀でよく見られていた光景です。
今でも時々、ご自宅からご希望される花嫁様やご家族様がいらっしゃいます。会場でお支度してチャペルで挙式もいいですが、生まれ育った家で少しずつ出来上がっていく白無垢の花嫁姿は他にはない感動があります。
簡単便利な現代において、つい忘れがちになりつつある日本ならではの歴史や文化、技や心を今一度見直し着物を通し『日本の花嫁さま』を大事に継承していきたいです。
日本の晴れの日の儀式にこだわっているひとりです。
着物をとおして日本文化の素晴らしさと感動とお客様の未来永劫の幸せを祈って。
ヘアメイク着付け杠(ゆずりは)
代表 梶田みわこ